
KIYOE MATSUNO
- スタイリストを目指したきっかけ
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私の両親が美容師であり、実家が美容室兼住宅という環境で幼い頃から育ってきました。兄弟4人も全員美容師という、家族全員が美容師のまさに美容師一家です。
その為、物心ついた頃から両親がお客様と笑顔で接している風景が私にとっては日常的なものとなっていたため、高校を卒業する頃には自然と自分も美容師になるものだということに何も躊躇いも迷いもなく、高校卒業後に東京の美容専門学科校への進学を決めました。
東京での修行時代
通常この業界は一見華やかな世界に思われる為、ほとんどの方が明るい未来や理想のみを描いて美容師の世界に進むものかと思いますが、私は生まれた頃から両親が美容師の為、この業界の華やかさだけではない現実的な厳しい部分も幼いころから当たり前のように目にしてきたので、決してこの業界が華やかなものだけではないという現実的な目線でこの業界のこと見ることができていたように思います。
美容師免許を取得した後、東京都目黒区自由が丘の髪質改善をメインとした美容室(ショウセイ株式会社)にて約7年半勤務させて頂き、入社後から約3年間はアシスタントとして、技術・知識・接客対応・ホスピタリティ・サービス力など多くの土台となる部分を学ばせて頂き、その後1年間ほどアシスタントリーダーとして後輩教育や上司と後輩の取りまとめなど、社会や組織というものについて学ばせて頂きました。
アシスタントを合計4年ほど経験し、厳しい審査を乗り越え念願のスタイリストデビューを果たすことができました。スタイリストに昇格してからも朝から深夜まで通常業務から後輩育成まで行い、休日も集客や作品作りの為のモデルハントや、撮影・外部講習を続け、美容師という職人技術を磨く為に全ての時間を注いできました。
東京の自由が丘という美容サロン激戦区の中でも個人最高売上は150万円を達成し、物販などの店販も最高月30万円以上達成することができました。
自由が丘での厳しくも充実した7年半は現在の私の美容師として大きな軸になっており、美容師としての誇りや在り方、社会や経営を学ぶことができました。
結婚→移住→妊娠→出産
その後、結婚を機に主人の地元である静岡県浜松市へ移住し、ondeへ就職へさせて頂き、間もなく妊娠が発覚し、出産、育休を約1年半頂き、育児をしながら時短勤務として現在仕事復帰しております。
子供を授かったことにより、自分自身の中に大きな変化がありました。家族との時間の大切さを深く知り、家族との時間を最大限確保しながらも美容師としての自分を両立させたいと強く思うようになりました。どうしてもこの業界では子供を持つ母親として時短勤務する場合、ギリギリまで多くの時間を費やしても手に入る収入は微々たるものになってしまう為、私はこの業界の常識に疑問を持つようになりました。
ママ美容師として
『短い時間できっちりプロとして結果を出し、お客様や社会に貢献し経済を循環させ、プライベートもできる限り余白を確保し人生を充実させる』
そしてそんな悩みを持つ多くの母親美容師にとっての道標になりたいと考えております。また、小さいお子様がいるお客様からも『子供連れOK』という美容室でも、現実は、「動いたり、叫んだり、泣き声によりスタッフの方々や他のお客様にも気を使わせてしまっているのではないか?」という現実的な声を頂き、
本当の意味で心から安心してお子様を連れていきやすい『完全なる個室空間』が必要だと、私自身も母親として実感していたからこそ、この構想を考えるようになりました。
そして、毎日育児やお仕事を忙しく頑張っている母親が、髪が綺麗に美しくなることで少しでも気分が晴れやかになり、毎日を楽しんでもらいたい。『美のプロとして髪からその人の人生を支えていきたい。』それが私の使命だと思っています。以上の想いがあり、創業を決意しました。
吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。